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#424-6 2008年6月のアカシックレコード  





QUESTION:楽しむということについて 2008年06月06日





Q:この時期、この世界において、どうすれば楽しくあれるか、噛み砕いて説明していただけますか。



A:質問の答えとして、とてもぴったりなイメージがあるので、みなさんにはこれからお話することを想像していただくことにしましょう。皆さんは子どもで、仲間と一緒に遊んでいます。これから述べることは特定の事例ですが、みなさんはぜひ、自分が実際に体験した出来事として心に思い起こすようにしてください。



さて、今、子ども達は道路でボール蹴りをして遊んでいます。初めは、子ども達みんなが遊びたくて、その場に集っています。けれど、時間がたつにつれ、ボール蹴り遊びにふたつの方向性が生まれます。方向性のひとつが生まれるのはこんな時です。子どものひとりがお腹が減って家に帰りたくなったとき、あるいは、つまらないと感じたり、いじめられているような気がしたとき、または、なんとなく心細くなってきたから他の子どもをいじめ始めたとき。子ども達の心に、居心地の悪さが芽生えたときに、選択肢が生じるのです。そんなとき、遊びをやめてこう言うこともできます。

「ごめん、みんな。お腹が空いたから私、帰るね」

 そのいっぽうこんな風に思うこともあるでしょう。

「お腹が減ったなんて駄目。私が抜けるとみんな嫌がるからこのまま遊んでなきゃ」



子ども達みんなが、自分の本当の心を封じて、遊び続けたと仮定したらどうでしょう。ボール蹴り遊びは、たちまちのうちに破綻してしまうことは明らかです。子ども達は、一見変わらずに遊んでいるようですが、楽しさはどんどん失われ、無理して演じている気がして、疲れてくるでしょう。また、自分の本当の望みが受け入れられていない気持ちになります。本当の自分を隠し、ありのままの自分を引き受けずにいるために、子ども達は不機嫌になり、周囲に当り散らし始めます。 ほどなくして、楽しかった遊びは、大喧嘩に様変わりし、子ども達はみな不穏な気持ちをかかえて家路につくのです。



さて、ここで少し時間を元に戻して、遊んでいた子どもの心に「楽しい」とは違う感情が芽生えた瞬間に返ってみましょう。ひとりの子どもがふと立ち止まり考えます。

「お腹が減った。そうだ!お腹が減ったということは、今がまさしく帰る時ってことだわ」そう思った女の子はみんなに言います。「ごめんみんな。私はここで帰るね」 女の子は家路につき、他の子ども達は自分が遊びたいからボール蹴りをしています。不機嫌になる子もいませんし、誰の心も傷つくことなく、ボールのぶつけ合いが始まることもありません。子ども達ひとりひとりが、自分の心に従い、自分自身が求めていることを自ら引き受け、遊びに残るのもやめるのも、あるがままの心に任せていれば、遊びは、メンバーが入れ替わりしながらも、子ども達の幸福感によって続き、ずっと楽しくあり続けるのです。



子どもを例に挙げたのは、こうした力学が人間関係においてどのように働くかをあなた方にわかってほしかったからです。こうした行動は、子ども社会においてより鮮明です。なぜなら、子どもは、大人ほど自制心が発達していません。

ただ、誤解しないでください。子ども達に、自らの願望のままにあれと言っているのではありません。多くの子ども達は、わがままはよくない、という教えの中を生き抜いていきます。ここでは、子ども達にこの問題を解決させようとは考えず、あなた方が子ども時代に友達と遊んだ記憶を思い起こし、今の、大人になったあなたの中に甦らせてみましょう。そしてこのワークの中に潜んでいる智慧に気づいてください。



ひとりひとりが自らの思いや望みに真に従い、 自らの感情をあますところなく

受け入れたなら、遊びに参加するのも抜けるのも、あなたが幸福に感じているかどうかによって決めればよく、あなたはいつでも自由に選択できます。そうすれば、遊びは永遠に楽しいものになるのです。ライトワーカーはあらゆる瞬間に楽しみを見出そうとするものですが、それでも、日々の人間関係の中で、そうはいかないこともあるでしょう。それはたいてい、自分の望みや願いが完璧に思えないときです。ライトワーカーは、自分が本当はどれほど素晴らしい存在であるかということを忘れてしまったときに、楽しさがしぼみ始めます。あなたがたライトワーカーの多くは、遥か昔に、自分はたいした存在ではないと思い込まされました。人々はあなたの真価を軽んじ、そのために、あなた自身も自らの真価を軽んじました。その結果、あなた方は楽しむことをやめてしまったのです。



今、あなた方が真我(神我)に至る過程にあって、【楽しさ】という事柄は、【ありのままの自分を丸ごと引き受ける】という行為と分かち難く関係しています。あなたの願いを叶えるために立ち上がる勇気、そして一人一人がそれぞれの幸福の形を追求することを受け入れていく勇気と密接に関わっているのです。



あなたに、多くの楽しさを分かち合う相手がいたとしましょう。ふたりは目新しいことを次々に思いつき、新しい遊びに興じ、強く愛し合います。けれど、ある日こう告げられます。「なんだかもう飽きちゃった。別のことをした方がいい気がしてきたよ」 この言葉を聞いたとき、あなたは恐れをなします。相手がいなくなったら楽しさが消えてしまうのではないか、自分が愛されるに足らないからこんなことになってしまったのではないか。それまでの人生で起こった様々な出来事とごちゃまぜにして、ありとあらゆる理由であなたの恐れは膨らみ、やがてあなたは相手にすがりついてこう言うのです。「お願い行かないで」「お願い変わらないで」「あなたの幸せを追いかけたりなんかしないで。ここにいて私と一緒に楽しんで」 結果はお分かりですね、こうなってしまっては、もうかつて楽しかったことも、もはや真に楽しいことではなくなります。



楽しさを求めるということは、つまり、勇気をもって自らの願いを直視することであり、勇気をもって自らの幸福を追求し、そしてひとりひとりがそれぞれの幸福を追い求めていくことを認め、祝福すらすることなのです。最初は孤独に思えたり、遊び相手を失ってしまうように思えるでしょう。けれど信じてほしいのです。あなたは孤独ではありません。あなたのあなた自身への愛は拡張されます。そしてあなたがあなたを愛していれば、あなたのそばから愛する人々がいなくなることは決してありません。人は入れ替わり立ち代り場所を変えていきます。

夕食のために家路につく人もあれば、どこからともなく現れて遊びに加わる人もいるでしょう。



自らを愛し、ひとりひとりの違いを喜んで祝福するなら、あなたはいつも楽しくいられるのです。



リンク元:Arrived Energy On Earth